インド旅日記(15) インドその後に


旅は終わっても、日常は続いていく。

日本は熱くも寒くもなく、曖昧な季節だった。そして静かだった。妙に現実感がなかった。自宅の周辺は住宅地であったが、人の気配が全くなかった。時折、車が音も立てずにすごいスピードで通り過ぎた。僕は何か間違っているような気がした。
日本の春は、ぼんやりしていた。あまりにも静かすぎた。死んでいるようだった。インドが懐かしかった。強烈な日差しと溢れかえるほどの人と熱気と土埃と臭気と騒音と排ガスとで混沌としてエネルギーに満ちたインドが、懐かしかった。
僕の内部には、外の世界とは異なる世界が生まれていた。まだ熱が残っていた。強い気持ちが残っていた。妙な自信のようなものが生まれていた。


帰国の翌日、まず最初にしたことは、入社に備えて髪を切ることと、手塚治虫の「火の鳥」を全巻そろえることだった。
平和な静けさの中、生きていくことはできる。しかし、何か精神的な支えが必要だった。

その翌日は、地元の友人達に土産を渡し、ファミレスで写真を見せながら土産話を話して聞かせた。話は尽きず、まれに見る盛り上がり方だった。
今までどおり人と接していくことはできる。そのことが安心だった。そして、なにより自分を現実の世界に引っ張り上げ、繋ぎとめてくれる友人の存在がありがたかった。心の中には日常と異なるものが残っており、それらを分かち合うことはできない。だがそんなことは昔からずっとそうだ。

その日の夜は、先輩に会った。同じ世界を共有していて、今一番理解してくれるのは、彼だった。とても懐かしい人に会うような気がしていた。
バナラシでの夜の体験を、初めて、全てきちんと語った。居酒屋をはしごして、最後はKさん宅に泊まり、語り続けた。大切なことを話すときには、いつも声が震える。
語っていて分かったことがある。あの夜に感じた恐怖とは、「自分の属性が――性格や、記憶や、欲望などが全て消えてなくなり、拠り所がどこにもなくなり、独りきりで、全てが分かり、それでも意識が残り続けてしまう」ということに対する恐怖だった。
自分が眼だけの存在になること。そしてそれがずっと続くこと。それは「神」の視点なのかもしれないが、そんなことは普通の人間には耐えられないことだった。
「宇宙空間に残りつづける意識の絶対的な孤独」、それは「火の鳥」で繰返し表現されているテーマでもあった。手塚治虫はやはり知っていたのだと思った。