インド旅日記(14) さよなら印度(2) (バンコク〜成田)


バンコクへの飛行機の中でも頭の痺れは起こった。
ここで死ぬのかもしれない。やはり日本には戻れないのかもしれない。不条理な恐怖は残っている。


バンコクに着くと、心からほっとした。タイは安心できるところだった。空港はきれいで、人々は控えめでおとなしい。初めて来た時の感じ方とは大違いだ。こんなにきちんとした国だったというのに。
マイルドセブンが買える。こんなに甘く、いい香りだったなんて…。思わず口元に笑みが浮かんでしまう。俺は今までなんてまずいものを吸っていたんだ。
タイの、インドとの違いは、きれいな建物やビルや清潔さや秩序があることだった。そして、それが生の作り上げたものなんだ。死が怖いから、カオスが怖いから、人は名づけ、意味づけ、分類し、三角形の角度を求め、ビルを作り―壊れると分かっていても、どこまでも高く、美しく作り上げ、常にきれいに磨き上げ、情報の輪を作り、マスコミを発達させる。それは死から逃れるためなんだ。いや、死へと続く大きな一方向への流れの中で、それに逆らう意志こそが、生なんだ。
だから、そんな強固な生の形に守られ、僕はタイで安心できた。だけど、それがあまりにも強固になったとき、人はその中で死を忘れ、生の意味を見失い、窒息するのだろう。


「日本亭」というレストランに入る。日本人のビジネスマンばかりだ。とんかつ定食。味も日本のまま。やはり、顔は笑ってしまう。美味い…。
しかし、タイに来て、特に日本語だと、やはり言葉はスムーズに出てこなくなった。日本語は微妙な関係性の中の言葉だから、曖昧で、言葉を選ばなくちゃいけないからだ、と思ったが、それだけじゃない。
インドでは、――何もかもが日本とは違い、死やカオスや生がむき出しで、どこにも安全や安心がないインドでは、言葉こそが生きるための武器だったのだ。生きるためには、とにかく言葉をぶつけるしかなかったのだ。


タイでは、とにかくあの体験を書いておかねば、という思いが強くあった。印象はだいぶ薄れていたが、自分を失わずに、しかも後から振り返るのではなく現在進行形で書くには、タイしかないと思っていた。
食事の後、ベンチで、そして24時間営業のバーで、ビールやカクテルを飲みながら、書きつづけた。なんとか、ある程度書くとほっとした。7時間くらいは書いていた。


そして今、これを成田空港の展望ラウンジで書いている。
成田は、意外と汚かった。すぐに行列ができるのは、スペースの使い方が下手だからだろうか。人は多いのに、やけに静かだ。生命のエネルギーが感じられない。子供を見て、インドの子供たちを思い出す。インドに帰りたい…。涙がにじみそうになる。
言葉が通じるのは便利で楽だ。頬が緩みそうになる。
物価が、笑っちゃうくらい高い。週刊誌は、小室哲哉がどうしたとか、相変わらず下らないことを見出しにしている。本当に心底どうでもいい。何も変わっていない。
展望デッキは、なんだか侘しく、すっかり千葉の田舎の空気に染まっている。緊張感がまるでない。

ふたたび、頭はぼーっとしかけている。
この旅は、本当に自分にとっての通過儀礼の旅だった。日常から非日常へ、自我は崩れてカオスの中に投げ出され、そして戻ってきた。たくさんのことを知った。考えはこれからも変わっていくのだろう。だけど、俺の印度旅行は、日記を書き終えるこの瞬間に、終わることになる。