インド旅日記(13) さよなら印度(カルカッタ)

ammon11111996-03-25


カルカッタ着は8:30頃。
最悪というこの街に出て行く前に、気合を入れなおす。
列車を降りた時から、すごい人の流れの中を、一直線に歩いていく。インフォメーションカウンターで聞いて(この街はすごく早口の英語だ。)、まず銀行まで歩く。
財布には数ルピーしかなく、それが不安にさせていた。しかし、トラベラーズチェックにはまだまだ余裕がある。


カルカッタは最も暑かった。タクシーが溢れ、人が溢れている。汗を流しながら、その中を歩く。
しかし、覚悟をしていた乞食には、全く出会わなかった。いや、全くいないことはないが、足の踏み場もないほどいる、数十人に取り囲まれる…という状況を想像していたわりには、全くそんなことはなかった。
B・B・D・Bagの辺りで、自分がどこにいるのか分からなくなっている。だが周りに銀行はたくさんある。そのうちの1つに入ってみる。別の建物に行くように言われ、連れて行ってもらう。
しかしそこに行ってみると、両替はできないと言われ、他の銀行を紹介される。
道を聞いても、自分がどこにいるのか、すぐに分からなくなる。
また別の銀行へ行く。ダメだと言われる。
いくつか周った辺りから、不安とあせりは大きくなってくる。


とにかく、歩かなくてはいけない。前へ、1歩ずつでも、前へ進んで行かなくてはいけない。
なぜ重い荷を背負い、この暑い街で僕は歩き続けなくてはいけないのか。
…人生はゲームだからだ。だから、フロッガーは道路を渡り続け、マリオは上を目指し続けないといけないんだ。
ロールプレイングゲームに人々があんなに熱中するのは、ゲームが人生そのものだからだ。単調な経験値稼ぎ。レベルアップして広がっていく世界。予め作られたシナリオを、手探りしながら進んでいく。リセットすることのできる人生。だから、パックマンは逃げ続けるしかないんだ。一瞬の休息しか許されていない世界を受け入れて、逃げ回るしかない。
ゲームを作った人たちは、このことが分かっていたんだ。無意識の世界の真実を表現できた者が、人の心を捉えることができる。それは、忘れているけど誰もが知っていることだから。そして今が僕のゲームなんだ。インドに来てから、それは激しすぎるような気もするけど、でもこれがあんまりテレビゲームをやっていない僕にとってのゲームなんだ。
人は、人生の中で、何らかの形で一定量の経験値稼ぎをしなくちゃいけないんじゃないだろうか。それは、勉強であっても、筋力トレーニングであっても、テレビゲームであっても。だから、健康のためと、ジョギングが流行る。それらは、生きるという事の確認なんだ。だから僕は今、歩かなくちゃいけないんだ。金はアイテムだ。それがないから、歩かなくちゃいけないんだ。


しかし、そんなことを考えながら、なんとか自分がいる場所を確認し、東京銀行まで行ってみたのに、「Sorry…」と言われた時には、不条理な気分もかなり極まっていた。東京銀行にも日本人はおらず、日本を感じさせるものは何もない。
近くのシティーバンクに行けと言われ、ぶつぶつ言いながらもそこまで行くと、入口ですぐにダメだと言われる。あまりの不条理に、怒りが爆発する。かなり大きい声を出し、不機嫌さを隠すことができない。
そこで教えられた銀行はまた遠そうで、しかも途中まで歩くが、案の定、道が分からない。インドを歩いていて分かるはずがない!
9時半頃から12時半まで歩き回り、金はなく、のどは乾ききっていた。途中ずっとイラついている。


ふと、日本円を持っていることに気づき、東京銀行に戻ってみる。日本に戻ってからの交通費なんてどうにでもなる。すると3,000円分、あっさり両替できる。
こうして、アイテムは手に入った。
金が入り、ペプシとファンタを一気飲み。のどの乾きに追いつかない。タバコ。またジュース。しかしこれですっかり胃の調子が悪くなる。


しばらく買い物をする。露天でサンダルを売っている。
「How much?」
「85」
そのまま行こうとする。1店目では120とか言うから、怒ってそのまま何も言わずに行ってしまった。
「65」…下げてくる。なおも行こうとする。
「いくらならいいんだ?45?」と聞いてくる。
「40!」目をにらんで気合い。でOK。
まともなショッピングセンターに行き、日清のインスタントラーメンや音楽テープを買う。そこで、手に持っていたサンダルが40ルピーは安いと言われる。嬉しかった。
インドに来てから、感情をストレートに出せるようになった。思っていたように、本当に人の目も気にならなくなった。そして、目つきが鋭くなった。(もしくは悪くなった。)ぼーっとしていられない国で。照れや遠慮はいらない国で。


食欲はないが、高級中華料理屋に入り、餃子を食う。こんなにうまい餃子は初めて食べた。
カルカッタは思ったほどひどいところではないらしい。リクシャーでなくタクシーが多く、道端に牛のいない、まともな都市だと思った。
だが、カルカッタにいても買い物くらいしかすることもないし、疲れていたので、すぐに空港に行くことにする。今さらサダルストリートの安宿に泊まる気もしない。
空港まで、タクシーで100ルピー。遠かったから、そんなもんだろう。
それにしても暑く、ミネラルウォーターはすぐになくなる。車中ではサングラスをしていてもほこりがひどい。真っ黒で壊れそうなコンパネ。がたがたゆれる車。
だけど全く問題ない。ノープロブレム。それでいいんだ。日本のほうがおかしいんじゃないだろうか。

タクシーの中、もう旅は終わりだと実感した。
残された冒険はない。帰り道の安心感の中で、人は旅を思い返すのだろう。
もうインドを出て行くんだと思うと、涙が溢れそうになる。また来たい。うまく言えないけど、インドは、好きだ。開かれていて、光と影と、生のエネルギーと死が際立っている国。インドは、好きだ。


しかし、インドの最後は嫌な思い出になった。
まず、予定していた空港には泊まれないことが分かる。仕方なく仲介人を通して宿を決めようとしたが気に入らず、やめると言ったらリクシャー代を払えと言われる。
やっと決まった宿の隣りのレストランでは、フリーだとか言ったくせに水代(しかもまずいミネラルウォーター)を16ルピーも請求される。足りなかったから、怒りながら、「明日持ってくるよ!」と言い、翌朝早くに黙って出て行ったんだけど。
最後のホテルは385ルピーと奮発して、シャワー、トイレ、テレビ、ベランダつきのところにしたのだが、所詮インドではたいしてきれいなわけでもなく、たいしたことはなかった。テレビは、ゴールデンタイムだというのに延々とシタールの演奏をやっていた。


鏡を見ると、顔が変わったような気がした。哀しそうな目をしていた。
まだ頭はぼんやりとしびれることがあった。不安な時などは頭の後ろがジーンとしびれ、遠くでブーンという音が響き、思考が混乱してくる。変な絵はまだ描けてしまう。恐ろしいという思いもあるが、今ならもう理性でコントロールできる程度にはなっているという安心もある。
しかし、頭がしびれたまま何もできず、そのまましばらく寝てしまう。暗闇の中で、起きる前の浅い眠りの状態を感じていた。