インド旅日記(6) Nowhere Man(デリー〜アーグラー)

ammon11111996-03-18


9:00起床。街中はうるさい。
しばらく屋上のカフェでのんびりする。トーストがうまい。涼しくてよい。


10:30の列車でアーグラーへ向かう。エアコンがきいているクラス。
隣りは一人旅の西洋人。話しかけようかとも思うが、物静かな人で本を読んでおり、結局話しかけなかった。旅をしていると人に話しかけるのは普通のことに感じられてくるけれど、普段街中や電車で他人に話しかけるなんてことはないのだと思う。
ランチは脂っこく、ヨーグルトは腐ったような味がして、いまいち。
村上龍の「イビサ」を読む。やはりハマる。


インドの風景になじんでいる。いちいち特別な感慨はわかなくなってきた。でもそれは多分、悪いことじゃない。自分はインドを旅している1人のただの日本人に過ぎないし、それもあんまり言葉の分からない奴だ。何者でもない。ここでは、自分がどう感じるかとか、相手にどう思われるかといった自意識は必要ない。多すぎる人間と必死な生活の中、妙なプライドは不要だ。
何者でもない自分に、恥や照れはいらない。人の目も気にしなくていい。こんなに人が多い国(日本もだけど)では、1人の人間の占める場所・価値はとても小さい。「自分」など、たいした存在ではないのだ。
「自分探し」などと言うが、「自分」など探しても、その奥には何もないかもしれない。関係の束でしかないのかもしれない。「自分の考え」と言っても、本の中で得たものの寄せ集めにすぎないかもしれない。「新しいもの」とは、今まであったものが、ある人間の中でたまたま結びつく、その結びつき方の新しさであって、本当のオリジナリティなんてものはないんじゃないか。コピー文化なんて、今に始まったことじゃないんじゃないか。
何かを産み出すって何だろうか。幼い頃の体験は重要なものと思いがちだけど、別にそんなことはないし、それが自分の「核」になっているとしたら、意味のある「本当」の核なんて、どこにもないのかもしれない。
旅に出ると、日常の関係性から自由になり、自分に向き合える。しかし、意味のあるものは関係性だけなのかもしれない。


学生時代、僕は内面に自分の考えを持っていそうな人、複雑さを抱えていそうな人、そしてそこからくるセンス、ユーモアの感覚を持っている人を求めていた。
しかし、結局、どんなに魅力を持ち、また力を持っていそうに見えても、「社会」には通用しないように見えた。結局は単純で、普通で、当たり前で、実用的な人間が社会には求められているようだった。
学生時代は短かかった。「社会」や「実用」を無視しながら「高等遊民」を気取っていられる時期は短く、気づけば状況は何も変わっていなかった。
普通に進んでいくことに抵抗があり、普通の生活を考えると胸が締め付けられるような物哀しさを感じる。これはなんだろう。哀しさは、安心と脱力とあきらめだろうか。
僕は必死で人と違おうとしている。それは、大多数の進むコースの中で戦う自信がなくて、別のコースを探そうとしているだけかもしれない。どこかに抜け道があると思っているのかもしれない。
だが、本当は根底に最初からのズレの感覚がある。大多数からズレてしまう過剰な部分と、欠けた部分を、恐らく僕は最初から抱えている。
電車の中、そんなことを考えている。


アーグラー・カント駅に着くと、いきなりリクシャーワーラーに声をかけられる。
「明日のバナラシ行きの列車の予約を取ってからだ。」と言うと、その間ずっとそばにいて離れない。
「歩き方」には、プリペイド式のカウンターができたから定額料金の前払いで、アーグラー城までオートリクシャーで21ルピーと書いてあった。こっちはそれを知っているのだから、いくら一緒に着いて来ても、そこに連れて行かせれば、ぼられることはないと思っている。
駅を出て、そいつと一緒に小さいカウンターに行く。すると、なんだか高い。「50ルピーに値上がりした」とか言う。本当か?しかし他にそれらしいカウンターもない。よく分からない。どこまでも安心できない国だ。
結局、そいつのリクシャーで行く。なんだか2人乗っている。隣の奴は誰なんだ。


宿は、歩き方に載っていた「Raj」に決めていた。きれいでよい宿だ。
ワーラー達は、チェックインを済ませるまで待っているという。ここまでが定額だから、その後稼ごうというつもりか。まあ別にそれでも構わないので、荷物を置くと、そのまま彼らの車でアーグラー城へ向かう。

場内の中庭にいる猿やリスと遊ぶ。ジャイプルで買った豆をまだ持っていたので、それをあげると寄ってくる。かわいい。写真を撮る。
楽しい気分だったので、リスと一緒に写真を撮ってくれた売店の店員に、チップとして200円あげてしまう。後で考えたら、60ルピーくらいだ。あきらかにあげ過ぎだ。すっかりインドの物価に慣れ、60ルピーというと相当な金額だと思うようになっているのだが、それが日本円では200円くらいに過ぎないということにふと気づくと、そのギャップに改めて驚く。
別の男が、「写真を撮ってやろう」と言って近づいてきて、ほら餌をやってごらん、と餌をやってみせるが、僕がすでにさんざん豆をあげていた後だったので、リスも猿も寄りつかなかった。さっきの豆のほうがおいしそうだったし。男は、おかしいなー、という様子を見せていた。悪いことをした。


リクシャーワーラーを待たせていたので、名残惜しみつつ、建物の中に入る。
圧倒される。石の存在感と、時間の重なりを感じる。「歴史」の中にいると感じる。震えが来る。そして、涙が出そうになる。
日本の文化は木造建築だから、古い建物は何度も建て替えられ、きれいになって、当時のまま残っているものはほとんどない。しかし、石の建物は、傷みながらも建てられた当時のままで残っている。
当時の王達が歩いたその同じ石の上に自分が立っている。昔は王だけの特権的な場所に、今は誰でも立ち入ることができる。写真を撮られ、みんなに所有され。隠された場所は、もう何も残っていない。
リクシャーを待たせながらも、16時過ぎから17時過ぎまでそこにいる。


その後、宝石・カーペット屋と、大理石屋に連れて行かれ、結局両方で買う。クレジットカードも使える立派そうな店だったし、ちょうど土産も買おうと思っていた。意志が弱いってのもあるが。
宝石屋の方は、ショウウィンドーに宝石が並んでいて、そういう所に並んでいると高級そうに見え、650のところを500に値切ったところで買ってしまう。
隣りの部屋ではカーペットを売っている。そこにはインド滞在が長そうな日本人がいて、リュックを隣りに置いて座り込み、700ドルのカーペットを見ながら、しきりに、「これは物がいい、日本で買ったら何十万もする。」などとブツブツ言っている。
そうか、それなら宝石もだまされてないだろうと思い、カーペットは別に欲しくなかったし荷物になるので買わなかったのだが、後になって考えると、この日本人はサクラだったのかもしれない。詐欺とまではいかなくても、買わせることが目的のサクラ役だということは十分考えられる。しかし、インドでは、日本人がいるとそれだけで信用してしまう。その人はあんまり人と目を合わせない人で、日本にいたらただの怪しげな人だったが。


次は、大理石に砕いた貝などを埋め込んだ、タージマハール周辺ならではの工芸品を売る店に行く。
まず、工房に連れて行かれ、説明してくれる。職人が作っている。本当に細かくて、きれいだった。
その後、ショップに行くと、数々の品物が並んでいる。
これはマーブルだと言い、タージマハールの周りでは偽物を売っているが、これは全て本物だと言う。違いは、コインでこすって削れるのが偽物で、削れないのが本物だと言いながら、実際にこすって見せる。たしかに削れない。しかし、だから本物なのかどうかはよく分からないところだ。
今まで無条件に断りすぎたけど、実際に友人達への土産も買っておかなくてはと思っていたので、ちょうどいいと思い、宝石箱、象の置物、ロシア風入れ子仕立ての物入れなど、勧められるままに7〜8つばかり買う。
クレジットカードの使える表示があったことで安心があったし、次々に持ってくる勧め方もうまかった。
全部で100ドルというところを80ドルで買う。もっと値切ろうとしたが、少年が「そんなことをしたら、おいら親方に首切られちゃうよ。」という感じで、ゼスチャー付きでおどけた感じで言うので、まあいいかとそんなに強く値切らなかった。
1個ずつ丁寧に梱包してくれたが、ふと不安になり、ちゃんと入っているかと聞く。そんなことはしないよ、と1つを開けて見せてくれる。(帰国後に見ると、ちゃんと全部入っていた。)


アーグラーは相当に悪名高い場所である。
国による再開発などがないため、観光によって稼ぐしかない。そのために土産物屋が悪質なのだという。
「クビになる」というのも印度ではかなり有名なセリフだったらしい。
後から考えれば相当にぼられていたと思う。
しかし、たまたま気分もよかったし、金も使うつもりでいたので、全く嫌な思いはしなかったし、自分の中ではなかなかいい買い物だった。
金は持っているのだし、多少ぼられてもどうということはない。結局は、自分がどう感じるかということだけなのだ。


ホテルに戻り、1階の食堂で夕食。自分も含めてそこにいる5人が全て日本人だった。
 隣り合った2人組と話す。T君とM君といい、法政大学の4年生だと言う。カルカッタから入り、バナラシからアーグラーに来たと言う。
T君がバナラシでシタールを買って、これから部屋でレッスンを受けると言うので、一緒に行ってみることにする。
シタールの音階は「四七抜き」、つまりペンタトニック・スケールで、7弦ある。1、2弦がメロディーで、他がコード。しかし1コードだという。下に細い弦がたくさんあり、それが共振して独特の音が響くらしい。
70ドルで買ったとか。欲しい。しかし、荷物になる…。
インド的いい感じの老人が先生。
レッスンの風景をしばらく眺めている。


0時ころ、部屋の外を外人(イスラエル人だった)のグループが通りかかる。
彼らも楽器を持っていて、「その楽器はなんだ?一緒にやらないか?」と誘われる。僕も一緒に屋上に行くことにする。3人でいてよかった。
彼らはギターや打楽器を持ち出し、彼らの国の歌を歌う。コードは「Em→C→F」の繰り返し。我々も覚えて一緒に歌う。シタールのT君と僕とで、ギターを弾かせてもらう。
そして次に、僕が僭越ながらビートルズの「Nowhere man」の弾き語りをする。T君がコーラスを入れてくれる。
屋上の光の中に浮かび上がる人々。その歌声。美しい光景だった。音楽をやっていてよかった。バンドはやっていたが、即興で弾ける曲はほとんどない。しかし、こうしてみんなが知っている曲を弾くことができて、一緒に盛り上がることができてよかったと思う。
他の日本人やイスラエル人も集まって来て、屋上に10人以上が集まる。


法政の2人はむちゃくちゃな英語で、ヒアリングも今イチなのだが、コミュニケーションが取れている。こうやって、明るくストレートに接していくのもいいと素直に思う。英語が分からないなら、分からないなりに。見栄をはっていても仕方がない。こういう接し方って、相手から「すごい奴だ」とは思われないんだろうけど、結局すごいことなんだろうと思う。
互いに言葉を教えあったりする。
彼らは世界中を旅しているそうで、日本の路上でアクセサリーを並べて売っているのはユダヤ人の仲間だという話を聞いた。
2時過ぎまでそこにいる。
部屋に戻ると、そのまま寝てしまった。