インド旅日記(3) 嗚呼印度…(デリー)

安宿の天井


夢を見た。
世間では、小沢健二の「痛快ウキウキ通り」が再び流行っている。小沢の歌は1度聴いてもなんてことはないが、何度も聞くと麻薬のように心に残るメロディーだと(夢の中で)思っている。そしてメロディーを現実以上に新鮮に味わっている。


9時30分起床。
さわやかな空気。静かだ。遠くからかすかに街の喧騒が聞こえる。
日記を書き、水のシャワーを浴びる。


12時出発。
地球の歩き方」を破った地図を見ながら駅まで歩く。
コンノート辺りは高級住宅街のはずだが、歩いていると、やたらと声をかけられる。オートリクシャー(人力車のバイク版)のリクシャーワーラーが、次から次へと。
「ハロー!!」
「どこに行くんだ。」
「駅は遠いから乗っていけ。2ルピーだ、いや1ルピーでいい…。」
それを、
「I like to walk!」とか言いながら、あしらい続ける。
この街は独りでいようとしても無理やり開かれ、巻き込まれる。


街は、茶色くて汚い。所々で大便や小便の匂いがする。
バンコクにあったような、「溶け込むことなく入り込んだ資本主義」といった建物や場所がない。
いや、ペプシコーラ富士フィルムソニーの看板はあって、よくもこんなところにまで、と思うほどに企業は入り込んでいるのだが、それらは完全に風景に溶け込み、というよりもインドに取り込まれていて、もはやアメリカや日本のものではなくなっている。ここでは、バンコクで感じたような安心感はない。
道にはオートリクシャーの群れと、古びたバス。人々。そして牛。――混沌。ここはもう僕の知らない場所だ。


デリー駅は広く、人が多い。駅前の道を、オートリクシャーなんかをよけながら渡る。危ない。全く安心できない街だ。
ここではまず、ジャイプルまでの往復の切符と、アーグラーまでの切符を手配しなければならない。
駅前で案内人が話しかけてきたが、話だけ聞いて別れる。切符手配でだまされてとんでもないところに連れて行かれる話は、「歩き方」にたくさん書いてある。

地図を見ながら、政府のオフィス(らしきところ)に行く。
いくつかデスクがあり、人が並んでいる。よく分からずに調べていて、余計に時間がかかる。日本人も7、8人いたから聞けばいいのかもしれないが、頼りたくないのか、単に面倒なのか、話しかけはしなかった。
インドでなすべきことは、一人でやる力をつけることか、日本人とのコミュニケーションの大切さを知ることか。


さすがに政府の公式のオフィスでは、係員の態度も偉そうだ。役人はどこも(インドといえども)こんなものか。俺の英語力がないから馬鹿にされたのかもしれないが。愛想のかけらもない大男であった。
スタンプの青いインク台に水をたらしながら使っていたのが印象的だ。おかげで薄くにじんだ水色の、日本では見られない色をしたスタンプがチケットには押された。
15時ごろやっと手続き終了。2等席でジャイプルまでが315ルピー、アーグラーまでが325ルピー。まずはほっとする。


バザールを歩く。
まずは、リュックを縛るためのチェーンを買う。治安の悪さから、鍵をかけるためのチェーンは必要不可欠だという話は聞いていた。だからと言ってチェーンばっかり売っている店が成り立つっていうのもなんだかなあ。(しかしこのチェーンは最後まで非常に役に立った。)
バザール内でもリクシャーワーラーが声をかけてきて、落ち着かない。
マイルドセブンライトを吸いながら歩いていると、
「何を吸ってるんだ?1本くれないか?」と話しかけてくる奴がいた。
調子のいいことを言う人間は多いが、こんなずうずうしいことを言う人間はなんか珍しかったので、つい応じてしまう。
ミュージアムまで行かないか?」とか言うので、ちょっと興味を惹かれ、まあいいかと思い、タバコをあげて、行くことにする。
「1ルピーでいい。」と言う。
まあ、それではすまないかもしれないが、多少多めに渡してタバコでもあげればいいかと思う。


道すがら、インドでの適正価格について聞いてみる。コンノートプレイスからメインバザールまでは25ルピーくらいだとか(それを何でおまえは1ルピーでミュージアムまで行くんだよ!?という話だけど)、タバコの値段とか。
インドのタバコはばら売りで1本2ルピーだとか言いながら、リクシャーを脇に寄せ、タバコ売りから買って来て渡してくれたりもする。
リクシャーは、リクシャーで埋まった道を、やたらとクラクションを鳴らしながら走る。挨拶代わりなのか、クラクションを鳴らすのが基本のようだ。
道は秩序がないようだが、もともとリクシャーはそんなに速い乗り物ではないし、クラクションを鳴らしながらうまいこと走っているから、人と車が一緒にいてもそんなに危険ではないのかもしれない。かえって頑丈な車が高速で走っている日本の方が危険なのかもしれない。


着いた所は、「ガンジーミュージアム」といって、ガンジーの記念館だった。無料。ガンジーの写真やら何やらがある。「ミュージアム」って、本当は「美術館」に行きたかったのだが…。
静かで、流行らない田舎の観光地のよう。リクシャーの男は当然のように一緒について来て、何やら解説してくれる。帰ってもらって結構だったのだが、一度話をすると、途中では断りにくい。
外で写真を撮ってもらい、そいつも撮る。何かあったら証拠になるだろう、とちょっと思う。撮られるのを嫌がるかと思ったがそうでもない。


帰り道もそのままそのリクシャーに乗ることになった。
バナラシ政府のやっている土産物屋に行こうとか、その前に食事に行こうかと言う。基本的には常に警戒しているのだが、この頃には少しフレンドリーな気分にもなってきた。
しかし、俺のヒアリング力では分からない話もあり、途中から何度も「分かってるのか?」と聞かれ、しまいには、「おまえはプア・イングリッシュだ。」などと失礼なことを言われる。
自分では日本人としては平均以上の英語力があるだろうという根拠のない自信があっただけにショックな話だ。インドに来る日本人はみんな英語がうまいのだろうか。(というより、明らかに僕の英語力がないのだが。)
コミュニケーションがまともに取れない事は、次第にはっきりしてきていた。外国で大切なのは言葉だ。1人で外国に来て、言葉が通じないとどうしようもない。武器になるのは言葉でしかない。
…当然だ。腕力もなく、本を読んだりぼーっとしたりするのが好きな自分だ。言葉が話せなければ、後は俺のここでの「力」の根拠は、「金」くらいしかない。


リクシャーはそのうちに狭い路地に入り、安食堂に連れて行かれる。
ドアはなく、外のテーブルで食べるような店。チキンカレーとペプシで45ルピー。メニューには、多分その値段が書いてある。が、相場も状況もよく分からない。観光客相手にだますための店かもしれない。だますための高い金額が書かれたメニューかもしれない。疑いと不安は膨らんでいく。
「やっぱりいいからもう帰ろう。」と言うが、「もう頼んだからいいじゃないか。」と言われて仕方なく席につく。
 カレーは辛くて汗だくになるが、味はしっかりしている。量も多くて、残すことになった。ガイドの男が全部払おうとしたが断り、自分の分は払う。(あとから考えると、ごく当たり前の値段の、ごく普通の店だったようだ。まあ、当たり前かもしれないが。)


その後、見るだけだとか言いながら、土産物屋に連れて行かれる。
「シルクはバナラシの特産だが、バナラシでは高くて買えないからここで買ったほうがいい。」とか言われながら。
店は、コンノートプレイスの中心部にあった。どういう店なのかよく分からない。観光客をぼったくるためだけの怪しい店かもしれないとも疑う。だが、きれいできちんとしてはいる。シルクや、クルタなどが並んでいる。
アクセサリーを見て、少し心が動く。600ルピーというのを、交渉して250ルピーまで下がったので、購入する。
途中、ガイドに「いくらが相場なのか?」と聞くと、「400ルピーが相場だ。」と「こっそり」親切そうに教えてくれたが、「なるほど。」とうなずいて無視した。
だが、本当は分からない。こんなものなのか、相当にぼられているのか。
ガイドは、「どうして言った通りにしないんだ?」と、怒ったような悲しいような顔をしていた。


メインバザールへ戻る道すがら、ガイドは「今まで乗せた客はプレゼントをくれた。」とかいう話をし始めた。嫌な予感がする。
そして、バザールに着くと、案の定、「で、おまえはどんなプレゼントをくれるんだ?」ときた。しかも、「計算機とかそういうのがいい。」と言う。
さすがに「1ルピー」とも思わず、内心これくらいだろうと思っていたのが、「マイセンライト1箱と50ルピー」くらいだった。
開きがある。
とりあえずそれを渡そうとするが、受け取ろうともしない。厳しい顔になり、フレンドリーな空気も当然消えうせる。
正直びびる。そのまま降りて歩き出そうかとも思うが、できない。
そんなものかもしれないとも思い、でも最初1ルピーって言ったじゃん、とも思う。
土産物屋であまり買わなかったからマージンが手に入らなかったのだろうか。それとも、最初からもっと払わせるつもりだったのだろうか。
無言が続く。
インド人が黙ると怖い。


…そして負けた。
結局200ルピーとタバコと100円ライターを渡す。屈辱的。
そんなものかもしれないとも思うのだが。やはり負けた気がする。
一番いいのは最初から怪しげな誘いになんかには乗らないことだろうとは思う。でも、目的地に行くだけだと会話はできないし、事務的な話だけなら何とかなってしまうのだから、人との関わりも必要なのだ、と思ってもみる。
だがそれは言い訳だ。
結局、単に弱いということだ。愛想に負けて、断れなくなってしまうのだ。そして、相手の態度が変わった時、非力で言葉の分からない僕を守る武器は何もない。
人は、持たざる者が持っている方に近寄っていく。僕は金を持っている日本人だから、彼らは近寄ってくる。彼らは必要があるからそうしているだけだ。その必要がない人は(国鉄職員のように)逆に愛想悪すぎるくらいだ。だが、寄って来る人にひかれてしまう。そして自分から人に近づこうとはしない。結果として、ろくでもない人と関わることになる。
本当に信用できるのは無愛想な人かもしれない。


バザールの中の宿に飛び込む。「ブライト」という宿で、個室(エアコン、バスなし。80ルピー)にする。
独りきりになって、やっと安心する。自分の世界にこもる。もう人と関わりたくなかった。傷ついたように胸が苦しい。疲れ果てている。
こんな国にはとても住めない。外ではずっと張り詰めていなくてはいけない。こんなところに住んでいる人はすごい。
「世に出る」とか「出世する」とか「別の何者かになる」とかいう可能性など全くない世界だ。職業は決まっている。プライドなんて持ちようもない生活かもしれない。それがずっと続くのだ。逃げ場所もない。それぞれがそれぞれの場所で生きるためだけの生活だ。でも、パワーがあふれている。
ここでは、生きていくだけで大変だ。何も考えられなくなる。考えるなんてことは、暇な奴のする贅沢なんだと思う。
最初の場所で早くも疲れ果て、21時ごろ寝る。


目が覚めると停電していた。
他の部屋から外人がギターを弾きながら歌う声が聞こえていた。
旅情を感じる。