羽衣番長

【無意味な笑い】
どんな職業でも何をしてても、「美意識」を持つことが大切です。

今日は朝から何も食べていない。
ご飯一杯におしんこ、卵に納豆、それに血のしたたるような分厚いステーキを一枚、ぺロリと平らげただけだ。
それでもまだ足りずに、ひとっぷろ浴びて、すっかりいい気分、御満悦といった風情で、ジョギングを一時間。
すっかり体調を崩し、青い顔をしてウンウンうなっていたところに、丁度いいタイミングで現れたのがおまえだったというわけだ。
退屈しのぎに、スパーリングを3ラウンド、ヘッドギアもマウスピースも無しだったから、プロのおまえと俺では勝負になるはずがない。
それどころか、俺の内臓はもうだめらしい。
もっとも、それは今に始まった事じゃない。
だから気にする事はないんだが、それでもさすがにやるせない気分は残る。
どうして俺だけがこんな目に。
恨み言の一つも言いたい。
だがそうもいかん。
幼い頃より武士としての英才教育を受けてきたこの俺に、恨み言を言うことと、親より先に寝ることだけはできん。
それと、3時のおやつにカステラを欠かす事もできん。
それだけは覚えていてほしい。
何としても覚えていて欲しいのだ。
この俺の肉体もやがてこの世から消え去り、何も残りはしないだろう。
だが、俺のそんな生き様だけは、覚えていて欲しいのだ。
どうしてもとは言わん。
いや、むしろそんな事をされては迷惑だというのが正直なところだ。
だがそれでは世間に通用しないという事も、長いこと世間の荒波をくぐりぬけてきたこの俺だ。
十分に分かっているつもりだ。
だから、こうして頭を下げて頼んでいるのだ。
無理な事を頼んでいる事は分かっている。
何を頼んでいるのかよく分からないという事も、私にはちゃんと分かっている。
それはよーく分かっているのだ。
だからこそこうして頼んでいるのではないか。
それなのに、おまえには、まだ分からんのか。
この俺の、一世一代の冗談が、通じないのか。
何も、伊達や酔狂で言っているわけではない。
ただ、俺は、おまえに笑って欲しいのだ。
あの頃のように、心の底から寒くなるような不思議な微笑で、この俺の心を不安に陥れて欲しいのだ。
そうでもしないと、俺のインスピレーションは、もう枯れそうだ。
このままでは、俺のサラリーマン人生も、何とかなりそうだ。
接待ゴルフもうんざりだ。
だが最近は結構楽しくなってもきている。
そんなアンビヴァレントな、この俺の乙女心が、自分でも、結構気に入っている。
だってそうじゃないか。
そうでもしなけりゃ、やってられないじゃないか。
そんな事は、分かっているものだと思っていた。
俺はおまえを買いかぶりすぎていたのか?
おまえの情熱はそんなものだったのか?
熱いハートは乱れずに、流す涙はいざ知らず、帰り道すら分からない。
そんな世界で俺達はやってきたんじゃなかったのか?
あの頃の俺達の、あのだらしなさやくだらなさ、人間の嫌な部分は、すべてでたらめな事なのか?
そうじゃないはずだ。
お前のことは知らん。
だがこの俺はどうだろう?
俺には分からん。
いや、分かりたくもない。
昔の事だ。
もう忘れてくれ。
もう終わりにしよう。
きれいさっぱり別れよう。
そう言って出て行ったのはおまえの方じゃないか。
それを今更なんだ。
悪いが帰ってくれ。
娘はやらん。
第一、娘など最初からおらん。
存在していない。
有り得ない。
そんなはずがない。
どうかしている。
有り難う。
本当に有り難う。

―以上が羽衣番長の全供述です。
これで報告を終わります。
ご静聴有り難うございました。(拍手)