印度旅日記

ammon11111996-03-12



そうだ、インドに行こう。
そう思いついた時、僕の胸は高鳴った。
インドは行くべき人を選ぶという。
三島由紀夫がそう言ったのだと、横尾忠則の本に書いてあった。
それが本当なら、その瞬間から僕はインドに選ばれていたのだと言える。
いや、本当はもっとずっと前から選ばれていたのだ。僕がインドに行くことは、ずっと前から決められていたことだった。
それは後になって「分かった」ことだったが…。


それは猿岩石が旅立つ少し前のことで、ビートルズ横尾忠則藤原新也が旅立ったずっと後のことだった。
僕は大学4年生だった。
大学4年生の3月というぎりぎりの時期に、僕は独り、卒業式を欠席してまでインドに旅立ったのだった。

就職も決まっていた。帰国して4日後には入社式が控えていた。
それでも、そんなぎりぎりになっても、やはりインドには行っておかなくてはいけないような気がしていた。


「インドに行って世界観が変わった」なんて冗談のようなことを聞く。
僕は、インドに行って冗談のように世界観が変わった。
わずか2週間の旅だった。
だけど、いろいろなことがあった。
ありすぎて、インドで書いていたメモ程度の日記を書き直すのに、数年の時間がかかってしまった。
そして、数年経ってもまだ、完全には整理し切れていない。
この旅は、僕に決定的な変化を与えてしまった。


いつでも、大切なことはぎりぎりでやってくる。



インドには、いつかは行かなくてはいけないような気がしていた。
大槻ケンヂは「日本を印度にしてしまえ」と歌っていた。
筋肉少女帯好きだった友人は、すでにインドに行っていた。
その摩訶不思議なイメージには、いかんともしがたい魅力があった。
―人は皆ターバンを巻いている。手でカレーを食っている。そして道端には平気で牛が寝ている。その脇を人力車が走っている。車も走っている。ガンジス川には死体が流れている。その横で沐浴をしている。瞑想している奴もいる。みんなラリっている。詐欺師ばっかりだ。乞食に囲まれて前に進めない。そんな時は金をばら撒いて逃げるしかない…。
…本当かよ?
そこには、危険と冒険の匂いがした。
そこには、テスト前日に間に合わないことに気づいて徹夜を決めた瞬間や、コンパの席で自ら立ち上がって一気呑みを始める瞬間に感じるような、自分を大変な状況に追い込む時の精神の高揚があった。
…って、僕の過去にはその程度の「冒険」しかなかったのだが。


インド行きは、一本の電話から始まった。
ある日、先輩から電話がかかってきたのだった。
「俺、卒業旅行でインドに行くことにしたよ。」
「え、マジですか?誰とですか?」
「独りで。」
「いつからですか?」
「3月○日から。」

そうかインドか。やられた。その手があったか。
巷には卒業旅行と呼ばれるものがあった。仲の良い友人たちと連れ立ってヨーロッパやアメリカなどに行き、最後に最高の思い出作りをするのだ。
…FUCK!資本家の策謀にはまりやがってこのブルジョアジーが!
友人も少なく、適当にひねくれ者であった僕は、そのようなイベントには反感を持っているフリをしていたが、実は思い切り意識していた。下手な所に行ったらそれが卒業旅行になっちゃってかっこ悪いしどうしようかなあなどと思っていた。
だが、それがインド独り旅なら。
それに、そんなところに行けるのはこれが最後のチャンスかもしれない。
そうだ、インドに行こう。勢いで行ってしまおう。
胸の鼓動が高まった。
僕は反射的に答えていた。
「いいっすねえインド。俺も行こうかなあ。むこうで会いましょうよ。」


一緒に行くというのはかっこ悪い気がした。だけど独りで行くというのは寂しい。向こうで落ち合う、というのがちょうどいい気がした。
そして何より、期末試験の結果が分かり、卒業できることを確かめてからだと、日程は先輩より1週間ほど遅れることになった。「不可」が1つでもあれば、追試を受けなくてはいけないのだ。そうなったらインドはあきらめるしかない。
なお、「先輩」は、卒業旅行を同時期にするくらいだから、留年していた。結果的にはその年に卒業したからまあ良かったんだろうけど、どうなのか?
 

そうと決まれば。
早速僕は「地球の歩き方」を買った。基本である。
だが、たいして読まなかった。旅に出るのにガイドを読むなどというのはカッコ悪いのである。インプロビゼーションが大切なのである。
というのはもちろん言い訳だ。単に面倒だったのである。僕はぎりぎりまで何もしないタイプだ。


その代わり、インドを経験済みの友人に様子を聞くことにした。
「そうか、君もついにインドに行くことにしたか。そうだな、まず、ボラれてはいけない。奴らはふっかけてくるから、必ず値切らなくてはいけない。特に移動手段はリクシャーと呼ばれる人力車を使わなくてはいけないのだが、奴らとは必ず戦いになる。最初は調子のいいことを言っておきながら、後から値段をつり上げてくるのだ。そんな時は、払わずに降りてしまうことだ。」

なるほど。「ボラれない。」僕はノートにメモった。

「では、食べ物は?やっぱりカレーばかりなのか?俺は辛いものが苦手なのだが。」

「…だったらインドになんか行くなよ。いや、確かにカレーばかりだが、中華もある。まあ、彼らが言うところの『中華』だから、あんまり中華じゃないんだが、店を選べばそこそこ食える。俺は途中から腹を壊したから、中華ばっかり食ってたよ。」

そうか、インドで中華。なんだかもったいない気もするが、一安心だ。

「宿泊は?」

「俺は途中からドミトリーと呼ばれる相部屋に泊まった。だいたい一泊50〜60円だ。心配なら個室に泊まればいい。安ホテルなら、100円くらいで泊まれる。当然鍵もついてないしお湯も出ないが、インドに行くのだから問題ないはずだ。」

「旅のルートは?」

「デリーから入ってカルカッタから出るというポピュラーなコースにした。2週間程度ならそれがいいだろう。途中に、バナラシ(ベナレス)という、誰もが行く場所がある。ガンジス川のある街だ。聖地と言われている。やはりここは外せない。ここには、俺ももっといたいと思った。」

「ふーん。そこには何があるのだ?」

ガンジス川だ。」

「…他には?」

「何もない。店が並んでいるくらいだ。だが、一日中ガンジス川を眺めたりしてのほほんと過ごすのだ。ちっとも退屈しない。」

「川を…。」

「後は、ジャイプルという場所で像に乗れる所があるのだが、俺は乗れなかった。これが少々心残りであるので、できるなら乗ってみるといい。」

「ところで言葉は?」

「まあ、受験勉強の記憶で、なんとかなる。」

「そんな記憶は一切ない。」

「まあ、それでもなんとかなる。」

なんとかね。一抹の不安が残った。
ひとしきりそのような話が済むと、友が話題を変えた。

「で、君が本当に聞きたいはずの、非合法な方面の話だが。」

これは、人々がインドに惹かれるもうひとつの冒険の理由でもある。

「いわゆる、おクスリの話だ。以前にも話したと思うが。向こうでは『バング』と呼ばれている。これは大麻のことだ。本当かどうか知らないが、合法らしい。俺はバナラシのドミトリーで他の日本人にもらって回し呑みした。煙草に混ぜて吸うのだ。他にも、ラッシーというヨーグルトドリンクに混ぜて飲んだりもする。」

「簡単に手に入るのか?」

「そうだ。インドが長い日本人はたいてい持っている。彼らと知り合いになって、分けてもらうのが一番安全ではないか。」

「で、どうなったのだ?」

「うん、簡単に言うとバッドトリップだった。まず頭が痺れたようになり、視界が紫色になった。ノートにいろいろなことを書いたのだが、とにかく身も心も重くなり、川のほとりに座っていたよ。」

「そうか。」

「二度目にやったら、今度はハイになった。楽しーー。ひゃっほう。って感じだったよ。」

「そうか…。」

「ところで、バング・クッキーというのもあるらしい。奴らは何にでも大麻を入れるのだ。俺は今、これを持ち帰ればよかったと後悔している。税関ではろくに調べられなかったから、簡単に持ち込めたはずだ。もっとも、麻薬犬はいるから注意した方がいいが。持ち帰って来れたらひとつ、よろしく頼む。」

「そ、そうか…。できたらな。いろいろありがとう。じゃあ。」

危うく運び屋にされる所だった。しかし、なかなか有益な情報を得られた。


チケットも手配した。学校の近くの怪しげな格安チケットの店で購入した。
ノースウエスト航空でタイのバンコクまで行き、トランジット(乗り換え)してエア・インディアでデリーに入る。帰りはカルカッタ発でやはりバンコク経由のルートだ。
日程も決めた。卒業式は欠席だ。帰国後、入社日まで4日だ。ぎりぎりだ。


先輩と新宿のインド料理屋でチャイを飲みながらインド談義をし、徐々に気分も盛り上がってきた。
単位もぎりぎりだが全て取得できていることが分かった。インド行きは確定した。
荷物の準備は楽だった。
リュックサックにシャツとパンツを2〜3枚ずつ。タオル。タバコが5箱にライター2つ。地球の歩き方。トイレットペーパーの芯を抜いたもの。カメラとフイルム5本。メモ帳とペン。正露丸。暇つぶしの本は村上龍の「イビサ」とバタイユトラベラーズチェック。現金。航空券。ウエストポーチとパスポート入れ。
だいたいこんなところか。
旅の達人は荷物をコンパクトにまとめるのだ。達人でもなんでもないけれども。
だが、多少は山登りの経験があるので、必要最小限の量は分かっている。


九段下のインド大使館でビザの申請をする。
平日の昼間だったが、他にも何人か来ている。若者、主婦のような人、良く分からない人。
彼らも皆インドに旅立つのだ。ほのかな共感を感じる。

ビザの許可が下りたのは、出発の前日のことだった。
まったく冷や汗ものだ。